恩師、逝く -ご冥福を祈って-
本日は初めての月命日なり。
7月4日に、前の先生、私が初めて習った恩師が急逝されました。享年86歳。胃がんでした。
そういえば覚えていますが、10年近く前に「がんの手術」をしたと聞いたことがありました。その時は
あっけらかんとしていて、さっさと退院してきたような感じのことを言ってた気がします。それが再発し、
倒れて救急車で運ばれた時にはもう手の施しようもない状態だったといいます。
ひと月ほど前の6月初頭、病窓の先生本人から「入院しちゃった、病状が良くないから、家に寄って太極拳の
資料を引き取り、役立てて欲しい」との連絡がありました。「暑いですからね、ちょっと疲れましたか」と、
その時点ではそんなに大ごとに考えてませんでした。
その週末、ご自宅に伺うと、先生が「とにもかくも」という感じで袋に詰め込んだという資料が山積みになっていて
太極拳がらみは全く分からないと、奥様が途方に暮れていました。確かに膨大な資料は重くて、ご年配の奥様が
ひょいひょいと動かせるものではありません。必要なものを選んで持って行って、とのことでしたが、そこで選ぶには
量が多すぎたので、全部引き取っていくことにしました。
奥様の話だと、「もうダメじゃないかしら、長くはないかな〜」とのことなのですが、詳しくは解りません。本当は
すぐにでもお見舞いに行くべきかなと思いましたが、頂いた資料をある程度目を通してまとめてからお礼しながら
お見舞いに行ったほうが良いと思いました。少しだけ、病床の先生のお顔を拝見するのが怖かったのかもしれません。
そこから太極拳の講習会があったり、会社で騒ぎ(事故にあった人がいて仕事を調整していた)があったりして
少し忙しくしてしまいました。少しずつ資料を確認して、ダブっているものや紙が古くなって配布するには躊躇われるもの
などを廃棄したり、会員名簿など個人情報が入っているものをシュレッダーにかけたりしました。
中には郡山太極拳愛好会黎明期
の資料があったり、まだ先生が現役バリバリであちこちで講習をしていた時の
資料があったり、スポレク祭の体験会で使用した達筆な「太極拳入門8式」の型名を描いたポスターがあったりして
懐かしさを感じたり、改めて気づかされるものがあったりして面白かったです。それから、先生の性格をよく表すものとして、
「何かの挨拶の下書き」とか「手紙の下書き」などがたくさんありました。丁寧に下準備する方、でした。
こうして指導してくださっていたのだと、とても有難かったです。
ようやっと資料が片付いた週末、6月30日(土)、奥様をピックアップしながら一緒に病院へ見舞いに行くことができました。
一時間ほどいろんな話をして、滑舌がやや悪いもののよくしゃべっていたので、思ったよりずっと元気だと伝えると、
『太極拳をやっていて、上にあがってくる人は数人しかいない。そしてその数人の中では、相手を落とそうとする人が
出てくる。だから決しておごらず謙虚な気持ちを持って練習に励みなさい』
といったこと(たぶん)を話してくれました。
別れ際、先生がすっと手を差出しました。握手をしようと言われたので、私も手を伸ばしました。触れた先生の手は
冷たく(病のため、末端が冷える)、同じく胃がんで亡くなった父と握手した時を思い出し、手を温めるような気持ちで、両手で
固く握り返しました。
それからほんの数日。奥様から連絡を受けたときの衝撃。7月3日に、体に何かの機械(たぶん痛み止めを注入するための)
を埋め込む手術をして、その後容態が急変したそうです。先生の体には、手術に耐える体力が残ってなかったのでしょうか・・・・
「週末にお葬式ができた、先生亡くなった」と言った私に、旦那は言いました
。「なんだって先生、まるであなたが来るのを
待っていたみたいだ」
と。会えて、握手して話ができて、本当に良かったです。間に合わなかったら、あと一週間遅かったら
後悔だらけだったことでしょう。
それから斎場に連絡をして式日程などの情報を確認し、太極拳愛好会の事務所に連絡をしました。
7月6日(金)、お通夜。お見舞いに行った週末の暑さはウソのように、気温は落ち着き曇り空が広がっていました。会場に着くと
愛好会の名前で生花がお供えしてありました。お焼香をして親族の前でご挨拶したとき、奥様が「ありがとう、来てくれてありがとう、
お花もありがとう」と、とても嬉しそうな−安心したような−そんな顔をされました。読経も終わり、退場の際に、来場者を見送る
奥様の前に立った際、「明日も来てくれる?」と不安そうに聞かれました。「もちろんです」と答えると、ふっと笑顔が見えました。
先生ご夫妻にお孫さんはなく、ちょうど私が孫のように思えたのだろうか、少しでも心の安らぎになれたのであれば、私としても
嬉しい。「最後にお会いして握手できて良かったです」と言った瞬間、涙が溢れて来ました。
7月7日(土)、告別式。後ろに座っていた先生の昔の同僚である「学校の先生」たちが「そうだ、彼は太極拳もやってたね」
と話しているのが聞こえました。おそらく愛好会の生花をみてくれたのでしょう。(事務局に連絡して良かった)と思いました。
事務局および愛好会の皆様に感謝申し上げます。
旧同僚の方たちの言うに、先生は趣味多才だったようです。太極拳、気功、習字、折り紙・・・・そういえば、先生から受け
取った荷物にそれらがたくさん入っていた、どうして折り紙が入っているのかと思ったら・・・やっと理解できました。
弔辞は昭和44年、45年の教え子(工業高校の機械科の先生でした)の方たちが読み上げました。「先生のご指導のお蔭で
みな、社会に貢献してきました。」というくだりを聞いて、ふと不思議な印象を受けました。そうです。みなさん既に定年を
とうに超え、一段落している年齢なのだと気づきました。そもそも、みなさんが卒業したという年、その時私はまだ生まれてません。
遺影は、最近ではなく少しだけ若いころのものだったようです。たぶん10年くらい前、私が出会ったころの先生の顔でした。
見ていると、「野馬分鬃の手首は折らずにまっすぐ、額を写すような角度にね!」という声が聞こえてきそうです。
式は淀みなく進み、お焼香も終わり、親族の席で挨拶をしたとき、また奥様が「ありがとう、ありがとう」と言われました。
この頃になると心も落ち着き始め、死を受け入れていくような気がします。
火葬が葬儀後だったため、野辺送りで式は終了となる行程でした。朝降っていた雨はあがっていて、空は少し明るくなり始めて
いました。野辺送りの場所に、「放鳩の儀」と書かれていて「なんだろう?」と思っていたら、棺と親族を乗せた車が発進する前に、
「魂のご冥福を祈り」と、箱から真っ白い鳩が数羽空に放たれました。その後、「また極楽への無事の導きを
祈り」と再び数羽放たれ、鳩たちは空高く消え、誰かが「行っちゃった・・・」と呟いたのが聞こえました。
初めて「放鳩の儀」というのを見ましたが、印象的な演出でした。「おくりびと」という映画以降、さまざまな趣向を凝らした
葬儀が増えたな・・・と思いながら、私は会場をあとに、先生たちは火葬場へと旅立っていきました。
こうして「めまぐるしい一か月」が過ぎ、私はこの秋、ぜひに資格試験に合格するよう頑張ろうと心に誓ったのでした。
先生、これからは「今の先生たち」の言うことをしっかり聞いて、上手になるよう励んでいきます。どうぞ空から見守っていてください。
ご冥福をお祈りいたします、どうぞ安らかに・・・・・・・・