さかな・サカナ・さかな Part3 〜海釣り編〜 (平成23年12月23日)
 
 part2は〜川釣り編〜だったので、Part3で〜海釣り編〜に続けてみることに。今回の地震で
浜通りはことごとく被害を受けてしまった。去年行ったばかりの久ノ浜も、四倉漁港も、すぐ足元で
33cmもの婚姻色の太アイナメを釣った勿来港も、生シラス丼を出す小さな食堂のある小浜港も、
船で沖防に渡って大漁だった相馬も、小名浜も、みんな大きな被害を受けた(見に行ってないので
被害の度合いは、会社の人の話などから推測するしかない)。

請戸漁港細谷海岸なんて、入ることさえできなくなってしまった。。。。

 でも政府により、「り災証明を持っていると高速が無料になる措置が実施された(2011年6月20日〜)
ので、かなり有効活用させてもらった(この措置は2011年11月30日で終了)。ただし、これは
「大混乱中の地方自治体をさらに混乱に落としいれる」という悲しい状況をも招いたのも事実。

@7月上旬に新潟県山北町の笹川流れ という海岸に出かけた。何度かキャンプした場所で、水は
青々と澄み渡り、エサを落とすと下に落ちるまでに食い逃げされてしまうくらい魚影の濃いところ。
ここでは 小アイナメ チ?などを釣った。太平洋側に行けなくて行った、日本海側は静かだった。

A 7月の3連休、塩竈市場・松島へ。実は私は、意識的に被害の大きかった地区へ行くことは避けて
いたので、この時初めて被災地区へ出かけた(
東北支店手伝い は別)。亀喜鮨さん という、会社の
部長に紹介してもらったお寿司屋に行ってみた。こちらは、30cmほど津波かぶったそうである。
うっすらと線が残っていた。

 冷蔵庫の中身がダメになってしまったと聞いた。塩竈から松島は被害は比較的少ないらしいが、観光船が
出る「マリンパーク」はズタズタだった。大観荘という旅館で温泉に入っていたら、「あら〜。ここは松が綺麗に
残ってるわね。うちは枯れちゃったわ」と言うおばあさんがいた。話をよく聞くと、被害が大変大きかった
東松島市から来た人だった。

B 私たちが
川釣り編 で書いた岩手県の川を巡りながら内陸地震の被害跡を見ている頃、実は
実家の父母と叔父(※1)陸前高田市へ出かけていた。叔父が来たので、一緒に行ったそうである。
 誰か遊びに来ると必ず案内するのが大船渡市の碁石海岸
という場所で、平泉から一関、陸前高田
抜けて行く。叔父も行ったことがあったので、どうなったか気になって出かけたらしい。


 この碁石海岸 は父の思い出の釣り場で、何度か一緒に行ったけど、その度になぜか父だけが
良型のアイナメベッコウ
ソイ(キツネメバルかも)を釣り上げた。私の友達が同行したこともあって、
友達は小さなカニを、旦那はウニを、母はウツボを釣って騒いでた。近くのお店でホヤを買って帰った。
ホヤ、なんと3個で200円!? そんなことが思い出される。


 それで我慢できずに4月始めに行ってみると、エサを買ったお店はなくなり、陸前高田の道の駅は
骨組みが少し残り、カキやホタテを焼き売りしてた部分はなかった。そういう場所を抜けて進むと
肝心の釣り場は、なんとソックリ残ってた!!! そこは、少し入り江になっていて、小高い崖が廻りに
あったので、松島同様に波の直撃を免れたのだろうとのこと。それを聞いた叔父も自分の目で、現場を
確かめたくなったらしい。

    
↑いつも碁石海岸の船着場側 で釣る  ↑父のアイナメと私のアイナメ     ↑こんなに釣れたこともあった

C 10月に入り、山形・酒田港へ行った。この時は釣りが目的ではなかったので、海を眺めて「次は竿を
持って釣りに来よう」と思った。ここで、昭和50年代位から建っている?と思われる「海洋センター」なる
無料の施設があったので入ってみた(※2) 。展示物はどれもみんなアナログな手作り品で、船の内部の
模型やら酒田港の模型やら海洋ゴミの実態やら、色の褪せた魚のホルマリン漬けがゴチャゴチャと並ぶ。

 らちゃくちゃねぇ、んだけど見始めたらなかなか興味深くて、長居してしまった。ホルマリン漬けの中に、
日本海中部地震」 のすぐ後に網にかかったという深海魚、「リュウグウノツカイ」がいた。大地震などの
異変があると、こういう普段は見ない魚があがったりするそうである。酒田港にも津波はやってきて、被害が
あった。当時の新聞記事が展示してあった。その中に、秋田県で海岸に遠足に来ていた小学生がたくさん
犠牲になったというものもあった。山の中の小学校で海が珍しくて、現地に着くやいなや海岸に飛び出して
遊んでいたところを襲われたそうである(※3) 。なんともやるせない。

 この地震は「おしん」が大ブームだった年に起きているのに、なぜか記憶に薄い。三陸沖地震が来るという
話の方がクローズアップされていたからだろうか?その後泊まった庄内の海沿いの旅館で、仲居さんに
聞いてみると、全くわからないと言う。若い人だったけれど、大災害の記憶もこんなに薄れてしまうもの
なんだろうか・・・・・

 D 11月、再び塩竈へ。前述の亀喜鮨さん の話を聞いた近所の人(※4) が、ぜひ行きたいという。
ついでに、今年一度も釣りをしてないというその人の希望で、朝早く出て少しだけ塩竈港で竿を出すことに。
寒さを覚悟したけど、小春日和で海も空も青々として、いったいこの海が真っ黒に盛り上がってやって来た
なんて想像さえできない。ちょうど大潮、満月あけの日で、干満の差が一番激しい時だった。

 ハゼの時期らしく、廻りにはたくさんの釣り人がいて、1人で5〜6本以上竿を出している人までいた。
「数打ちゃ当たる」方式らしい
(^^;;  釣ってたら、驚愕の実態に出くわしてしまった。そう、満潮を迎えた
のである。満潮で海水が釣り座に迫ってくる。地盤沈下しているのだ。みんな、水を避けて釣り座を少し
ずつ移動しながら、でも釣りはやめない。

 私たちは時間もちょうどよくなったので車に戻った。移動する途中で、ガタガタの道のそちこちから
海水が噴出してくるのを見た。「満潮時冠水注意」の看板もある。まだ直ってない信号機もある。

 

亀喜鮨さん
大将と話をしいてたら、握られた赤貝はゆり上地区のもので、たった一人だけ、今も漁を
続けている80代のおじいさんが採った貴重な貝だという。なかなか地元のものは手に入らない状況
だけど、それでも漁はできている。「ひがしもの」というブランドの、三陸沖産マグロも採れていると言う。
羨ましいな、福島沖は漁業再開がどこよりも難しい。。。。

 さて、前回うっすらと線が残っていた、けれど今回は線が二重になっていた。9月の台風による増水で
再度冠水したのだそうである。もともと低い土地なので、増水は何度か経験してるけど年に二回ってのは
さすがに初めてだね。と大将はお元気だった。

 Part4 〜湖釣り編〜 に続く

※1  

      私の父の弟。海・川両方ともやる。去年あたりから、鮎釣りを再開した。田舎へ帰ると必ず
   漫画美術館へ寄って、矢口先生のサイン入り本を買って帰る。釣りキチ三平は漫画もDVDも
   みんな揃えるという酔狂ぶり。

※2 

      正式名称は「酒田海洋センター」。開館から約40年だそうです。

※3 

     
男鹿市の加茂青砂。北秋田郡合川町(現・北秋田市)立合川南小学校
の児童43人と引率教諭
   たちが津波に襲われ、多くは漁船や付近の女性などに救出されたが、児童13人が亡くなった。

※4 

      この「近所の人」は、3月11日に奥さんと奥さんのお姉さんが松島・一ノ坊へ、お母さんが伊豆へ
   行っていて連絡がなかなかつかず、大変な状況だった。幸い一ノ坊は高台にあり、津波の直接的
   被害は受けていないが、館内が停電したり、職員の誘導で、まとまった人数に部屋移動をしたり
   窓から対岸あたりの火災が見えたり、と大変だったそうである。伊豆の方は、さほど被害は
   なかったようである。